福岡地方裁判所 平成2年(ワ)2732号 判決 1995年10月25日
原告
森部聰子
右訴訟代理人弁護士
辻本育子
同
原田直子
同
林健一郎
同
松浦恭子
被告
九州朝日放送株式会社
右代表者代表取締役
松本盛二
右訴訟代理人弁護士
三浦啓作
同
奥田邦夫
右三浦訴訟復代理人弁護士
岩本智弘
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
原告が被告に対し、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位にあることを確認する。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、テレビ・ラジオ放送局である被告においてアナウンサーとしての業務に従事していた原告が、被告から配転命令を受け、その結果アナウンサーとしての業務に従事することができなくなったとして、配転の効力を争い、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位の確認を請求した事案である。
二 争いのない事実等
1 当事者
被告は福岡市に本社を置き、テレビ・ラジオ放送事業を営む株式会社であり、原告はその従業員である。
(争いのない事実)
2 労働契約の締結
原告は、昭和三五年三月に西南学院大学文学部を卒業し、翌三六年の被告の採用試験を受け、同年五月一日被告に採用された。
原告は、入社当初から被告編成局(のち報道局)アナウンス部(以下「アナウンス部」という。)に配属され、その後アナウンサーとしての研修・訓練を受け、ニュース原稿を読むなどのアナウンス業務や、テレビ・ラジオの番組及びイベントなどにおける司会や進行、そのための準備としての話題・情報の収集、レコードの選定などの業務に従事していた。
当時、原告は、被告からアナウンサーとしての待遇を受け、月額八〇〇円のアナウンス手当を支給されていた。
(争いのない事実、原告本人)
3 昭和五九年夏の配転の意向打診(職種変更の申入れ)
被告は、昭和五九年夏の人事異動の際、原告に対し、アナウンサーを引退してアナウンス部から他の部署に異動し、アナウンサーとしての業務以外の業務に従事することができないかについて意向打診を行ったが、原告が右異動に応じようとしなかったため、被告としても同時期の異動を見合わせた。
(争いのない事実、<人証略>)
4 昭和六〇年三月一日付けの報道局情報センターへの配転
被告は、昭和六〇年二月、原告に対し、アナウンス部から報道局情報センター(以下「情報センター」という。)への配転につき意向打診をしたところ、原告がこれに同意したため、これに基づき、同年三月一日付けで原告を情報センター勤務とする旨の辞令を発した(以下「第一次配転」という。)。
(争いのない事実)
5 情報センターにおける業務等
情報センターにおいて、原告は、その主要業務としての情報の収集・整理、ラジオニュースの編成業務に従事するほか、一日に一、二回程度、ラジオの情報番組において原稿を読み上げ、また、輪番でラジオニュース原稿を読むアナウンス業務に従事していた。
なお、情報センターは、昭和六二年八月一日廃止され、報道局報道部に吸収され、従前情報センターに所属していた者は、ラジオニュース班(通称以下「ラジオニュース班」という。)に所属することになった。
(争いのない事実、原告本人)
6 平成二年四月一六日付けのテレビ編成局番組審議会事務局への配転
被告は、平成二年三月、原告に対し、情報センターからテレビ編成局番組審議会事務局への配転につき意向打診をし、原告がこれに同意しなかったにもかかわらず、同年四月一六日付けで原告をテレビ編成局番組審議会事務局勤務とする旨の辞令を発した(以下「第二次配転」という。)。
これに対し、原告は、右配転の無効を主張するとともに、その効力を留保したまま右職場において勤務した。
(争いのない事実)
7 原告は、平成五年二月一七日、定年である満五五歳に達したため、被告を定年退職したが、被告には六〇歳までの再雇用制度があるため、これに基づいて引き続き被告の従業員として稼働し、現在に至っている。
(<証拠・人証略>)
三 争点
1 アナウンサーの定義及びアナウンサーとしての業務
2 第一次配転によって原告はアナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位を喪失したか。
3 第二次配転の効力
4 原告の定年退職によって、原告はアナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位を喪失したか。
四 被告の主張
1 アナウンサーの定義及びアナウンサーとしての業務について
被告は、平成二年五月にアナウンス部を解体し、アナウンサーを直接現場に配置する機構改革を行ったが、それ以前においては、アナウンス部に配属されていた者のみがアナウンサーであり、また、その者がアナウンサーとしてニュース原稿などを読み、又はマイクに向かって喋る業務のみがアナウンサーとしての業務であった。
被告報道局においては、デスク業務に従事する者(以下「デスク」という。)や報道記者がマイクの前でニュース等の原稿を読んだり、レポートをする業務に従事することがあるが、これらのデスクや記者などが右業務を行ったとしてもアナウンサーとして扱われることはなく、したがって右業務はアナウンサーとしての業務ではない。
このように、被告においてはアナウンサーたる地位とアナウンサーとしての業務に従事する地位とは不可分のものであり、アナウンサーたる地位を離れてアナウンサーとしての業務に従事することはありえない。
2 被告におけるアナウンサーの配転の実情
被告においては、アナウンサーとして採用し、アナウンス部に配属した者であっても、番組自体の傾向の変化に応じて、個人の適性などに基づき他の部署に異動させることが通常のこととして行われており、これは放送業界全体の傾向である。
また、アナウンス部に配属されたアナウンサーのほとんどが、アナウンサーとしての能力の限界を認めて自ら現役を退き、後進に道を譲り、又は積極的に他の職種を経験することを意図して、四〇歳代半ばまでにアナウンス部から他の部署へ異動しているのが実情であり、定年である五五歳に至るまでアナウンサーを続けた者はいない。
3 原告のアナウンサーとしての能力に関する被告の判断
昭和五九年当時、被告のアナウンス部長臼井康博(以下「臼井部長」という。)は、原告のアナウンサーとしての能力が衰え、アナウンサーを続けていくことが困難になっていると判断しており、これを受けて、被告は、右の臼井部長の意見などを検討した上で、原告はアナウンサーとして求められる能力・資質に欠け、アナウンサーとしての適格性を失ったものと判断し、アナウンス部から他の部署への異動を行うことを決断し、その旨の意向打診を行ったが、原告がこれを拒否したため、同年の異動を見送った。
4 第一次配転による地位喪失
被告は、昭和五九年夏期の人事異動に続き、昭和六〇年二月にも、原告に対し、アナウンサーを引退し、アナウンス部から情報センターへ異動することについて意向打診をし、説得を重ねたところ、原告はこれに応じて情報センターへの異動を承諾した。
その際、原告は、被告においてアナウンス部から他の部署に異動することが、アナウンサーたる地位を喪失し、アナウンサーとしての業務以外の業務に従事するという職種の変更を伴うものであることを十分に認識していた。
よって、第一次配転により原告がアナウンサーたる地位を失い、したがってアナウンサーとしての業務に従事する地位を失ったことは明らかである。
5 第二次配転の効力
仮に、第一次配転によって原告がアナウンサーたる地位を失っておらず、アナウンサーとしての業務に従事する地位を失っていなかったとしても、被告は、平成二年四月一六日、原告に対し第二次配転命令を発しているから、右配転命令によって原告はアナウンサーたる地位を失い、アナウンサーとしての業務に従事する地位を失ったものである。
(一) 配転に関する被告の権限
(1) 被告においては、就業規則上、従業員を社員・準社員・雇員の三つの資格に分類しているものの、アナウンサーなどといった職種によって分類しているわけではなく、したがって、アナウンサーを採用する場合においても、一般の社員と区別して採用するわけではない。
すなわち、被告におけるアナウンサーの採用は、職種を限定したものではない。
(2) 被告の就業規則一九条には「会社は、業務上の必要により、従業員にたいし辞令をもって転勤または転職を命ずることがある。」と規定されており、また、被告と民放労連九州朝日放送労働組合(以下「労働組合」という。)の間では、昭和五五年二月一日付けで「配転・転勤に関する協定書」という労働協約が締結されているが、その一条一項には「配転および転勤については、平素から本人の意向を聞き、本人の意向は、できるだけ尊重する。但し、特殊技能を必要とするアナウンス、技術、美術、配車、電話交換および保健室から一般への配転については本人の意向を十分に尊重する。」と規定されている。
すなわち、被告においては、アナウンサーを含めた全従業員が配転の対象とされているのである。
(二) 第二次配転の合理的理由の存在
(1) 被告は、平成二年四月にラジオ関係の編成を大幅に変更したが、これに伴い、原告が所属していた報道局報道部に余剰人員が生じた。
(2) 当時、原告はラジオニュースの編成業務に携わっていたが、被告は、原告について、ニュース感覚に問題があり、また、自己主張が強く、協調性に問題があると判断していたため、原告を異動の対象とすることを決断した。
(3) 一方、被告は、原告について、几帳面であり、整理整頓がよいとの判断を下していたことから、テレビ編成局番組審議会事務局図書資料室の勤務が原告にとって最も適しているとの判断をした。
(三) 労働協約上の手続の履践及び第二次配転命令の発布
被告は、原告に対して第二次配転の辞令を発するにあたり、当初意向打診と内示とを同じ日に行ったところ、原告及びその要請を受けた労働組合から意向打診及び内示に関する労働協約上の手続を履践していないと抗議されたため、この問題について労働組合と団体交渉を行った末、右辞令を撤回することとし、改めて第二次配転についての意向打診及び内示をした後、平成二年四月一六日付けで辞令を発した。
6 定年退職による地位喪失
仮に、第一次及び第二次配転によって原告がアナウンサーたる地位を失っておらず、アナウンサーとしての業務に従事する地位を失っていなかったとしても、原告は平成五年二月一七日に被告を定年退職しているから、同日付けでアナウンサーたる地位を失い、アナウンサーとしての業務に従事する地位を失ったものである。
原告は現在、被告の再雇用制度により再雇用され、新たに被告からテレビ編成局番組審議会事務局勤務とするとの辞令を受けて同部署で稼働しているにすぎない。
五 原告の主張
1 アナウンサーの定義及びアナウンサーとしての業務について
アナウンサーとは「アナウンサーとして発声や読みの訓練を受け、アナウンサーとしての自覚のもとに、マイクの前で話すことを仕事としている者」であり、アナウンサー志望として特別の入社試験を受け、入社後にアナウンサーとしての研修を受け、それを通じて培われるアナウンサーとしての自覚を持つ者であることが本質的要素であって、アナウンス部に所属しているか否か、アナウンス手当の支給を受けているか否かによってアナウンサーか否かが決定されるのではない。
そして、アナウンサーとしての業務とは、右の意味でのアナウンサーが行うアナウンス業務であるというべきである。
2 第一次配転について
(一) 被告は、昭和六〇年二月一四日、原告に対し情報センターへの異動について意向打診を行い、原告がこれに応じない旨の返事をすると、同月一九日、当時の情報センター部長小林謙一(以下「小林部長」という。)を介して、情報センターに異動した後もアナウンサーとしてマイクの前で話す仕事、すなわちアナウンス業務に従事することを保証する旨約した。
原告は右約束を信じて配転に同意したのであって、アナウンサーたる地位を離れることを承諾したものではない。
(二) 原告は、情報センターへの第一次配転後も「KBCトピックス」や「朝日ローカルフラッシュ」といった番組のアナウンス業務及びラジオニュースのアナウンス業務に従事しており、その後被告の機構改革に伴って情報センターが廃止され、ラジオニュース班所属となった後も、同様にアナウンス業務に従事し続けていたものであり、このことは、第一次配転に際して、被告が原告に対し、情報センターに異動した後も原告にアナウンサーたる地位を保証し、将来にわたってアナウンス業務に従事させることを保証した証左である。
3 第二次配転について
被告が原告に対してなした第二次配転は以下の理由により無効であるから、原告は現在もアナウンサーとしての業務に従事する地位を有していることは明らかである。
(一) 労働契約違反
以下の事情からすれば、第二次配転は、原告と被告との労働契約に違反してなされたものであり、無効である。
(1) アナウンサーとしての業務に限定された労働契約の締結
テレビ・ラジオ放送におけるアナウンス業務は、日本語その他の放送用語についての正確な知識、一般的な教養、社会常識はもとより、的確な言葉の選出、発声、発音、話術や臨機の注意力、理解力、判断力などアナウンサーに独特の技術、能力を要求されるとともに、カメラを通じて映し出される人間的な暖かさや信頼感、各種のタレント性をも必要とする高度に専門的な業務であり、しかも、これらの知識、技術、能力などは、アナウンサー自身の不断の努力、訓練と長年の実地の経験とによってはじめて獲得され増進される、極めて専門性の高い、特殊な性質を持った職種であって、放送会社の他の業務とは異なる性質の職種である。
このような特殊な性質の職種であるアナウンサーに関する労働契約は、職種を限定するものではないという明示の合意又はこれに比肩しうる黙示の合意など、特別の事情がある場合を除き、職種を限定したものとみるべきである。
また、被告は、昭和三六年当時、アナウンサー業務の特殊性を確認し、一般職種とは別個にアナウンサーを公募し、主としてアナウンサーとしての適格性を審査するための試験を行い、これに合格した原告を採用し、その後もアナウンサーとしての研修を受けさせており、かかる原告の採用経緯に照らしても、原告と被告との間の労働契約は、アナウンサーに職種を限定したものであることは明らかである。
(2) 第二次配転後の業務
被告は、平成二年四月一六日付けで原告をテレビ編成局番組審議会事務局勤務とする旨の辞令を発したが、同所での業務はアナウンサーとしての業務とは全く関係のないものであるから、第二次配転は、前記職種を限定した労働契約の範囲を超えた無効なものである。
(3) 就業規則の解釈について
被告の就業規則には、従業員に対して辞令をもって転勤又は転職を命ずることがある旨の規定が存するが、この規定は、アナウンサーという職種を限定された労働契約に優先して適用されるものではなく、被告が右労働契約に違反して配転を命ずる権限を持つことにはならない。
(二) 労働協約違反
以下の事情からすれば、第二次配転は、原告の所属する労働組合と被告との間に締結されている労働協約である「配転・転勤に関する協定書」に違反し、無効である。
(1) 労働協約の内容及び解釈について
「配転・転勤に関する協定書」の一条一項は「配転および転勤については、平素から本人の意向を聞き、本人の意向はできるだけ尊重する。但し、特殊技能を必要とするアナウンス、技術、美術、配車、電話交換及び保健室から一般への配転については本人の意向を十分に尊重する。」と規定しているが、右ただし書は、特殊技能を必要とする職種からの配転が原則として許されないこと、これに反して配転する場合には、本人の同意を得、又はそれとほぼ同等に評価できる程度に本人の意向を尊重することを要求しているものと解すべきである。
(2) 第二次配転に至る経緯
被告は、事前に原告の意向を打診することなく、平成二年三月一四日、第二次配転の内示を行い、その後原告が一貫してこれに同意しない旨表明しているにもかかわらず、同年四月一日付けで発令を強行し、原告の要請を受けた労働組合から労働協約違反であるとの抗議を受けてこれを一旦は撤回したものの、全く形式的な意向打診と内示を行った後、同月一六日に再び同内容の辞令を発したものであり、前記「配転・転勤に関する協定書」一条一項に違反する無効なものであることは明らかである。
(三) 人事権の濫用
以下の事情を総合すれば、第二次配転は、被告の人事権を濫用したものであり、無効である。
(1) 第二次配転に合理的理由が欠如していること
ア 従来、アナウンサーとしての業務は主として原稿を美しく正確に読むことであり、業務の幅が広がった現在においても、右技能が基礎となっていることに変わりはないところ、原告は、入社時からアナウンサーとしての研修と自己研鑚を通じて、右技能を取得し、維持し続けており、アナウンス業務以外のレポートやコマーシャルの制作などにおいても、要請されたことができなかったり、クレームをつけられたりしたことはない。それどころか、原告が昭和五七年四月から三年間担当した早朝五時台のラジオ番組「さわやかモーニング」は、この時間帯としては高い聴取率を挙げていたのである。
イ また、被告は、機構改革と称して、平成二年四月、ラジオ関係の編成を変更し、同年五月には従来のアナウンス部を廃止し、また、ラジオニュース班もラジオニュースのアナウンス業務を行わなくなったが、右業務は番組に出演しているアナウンサー以外の者が行っており、アナウンス業務自体がなくなったわけではない。
(2) 第二次配転が男女差別意思に基づくものであること
ア 被告の女性従業員に対する差別的取扱い
平成元年から同五年にかけて、被告の社員採用にあたり、応募者中の女性比率は約五〇パーセントであるにもかかわらず、採用者中の女性比率は平均で二七・七パーセントであることから、被告は、もともと男性社員を多く採用しようとの意図を有していることは明らかである。
また、平成五年における全男性従業員のうち、副部長以上の役職者の占める割合が約四〇パーセントであるのに対し、全女性従業員のうち、役職者の占める割合は約一五パーセントであること、女性の職位は最高で部長代理であり、局長、部長などの職位に従事する者も数多く存在する男性とは際立った違いを見せていること、男性の副部長への昇進が三〇歳代半ばで始まっているのに対し、女性の場合は四〇歳代半ばになってからであることなど、被告における女性の昇進は男性に比べて未だに非常に遅れた状態にある。
さらに、被告では、昭和五八年に改定された退職金に関する規定において、退職金算定にあたって結婚退職を会社都合と見なして優遇措置をとり、結婚退職を推奨しているが、現在の社会において男性の結婚退職が通常考えられない以上、女性の結婚退職を会社として奨励しているものといわざるをえない。
イ 被告の女性アナウンサーに対する差別的取扱い
ニュース番組を男女二人で担当するような場合、男性アナウンサーには政治・経済・司法などの重要なニュースを、女性アナウンサーには季節ものといわれる展覧会のお知らせや天気予報・コマーシャルなど副次的なものを担当させるなど、被告は、女性アナウンサーを「番組の華」的存在と位置づけて補助的業務を行わせ、また、若くなくなった女性アナウンサーをテレビ放送業務から外し、遂にはアナウンス業務から外すなどの差別的取扱いを行っている。
ウ 本件配転における被告の差別的取扱い
原告は、三六歳を過ぎたころから番組の担当を合理的理由もなく突然外されたり、繰り返しアナウンサーを引退して配転を受け入れるように説得されるなど、被告から様々な嫌がらせを受けている。
このように、被告の原告に対する第二次配転は、若くなくなった女性アナウンサーを排除しようという女性に対する差別意識をその真の動機の一つとするものであり、憲法一四条、労働基準法三条などに違反するものである。
(3) 第二次配転が思想差別に基づくものであること
ア 原告は、昭和六〇年一二月二八日に佐賀県唐津市で起こった親子無理心中事件について、被告が速報性とセンセーショナリズムを追求するあまり、被害者のプライバシー等に配慮しないことを憂慮し、右事件の第一報をニュース編成から外したところ、被告はこれをもって原告にニュース感覚がないなどと不当な判断を押しつけた。
イ 原告は、マスメディアは多数意見のみに流されず、少数意見に特別の注意を払わねばならないという考えから、当時少数意見であった環境問題などについても配慮をしたニュース編成を行ったところ、被告はこれを偏った編成であると独断し、編成し直して放送した。
ウ 原告は、天皇に対する過剰敬語問題や昭和天皇の容体報道に見られた過剰報道問題についても客観的な対応を心掛け、過剰敬語とならないように工夫を凝らしてニュース原稿を読み、また、他に重大なニュースがあったことから昭和天皇の容体報道の一部を省略してニュース編成を行ったが、これについて被告は強い嫌悪の念を抱いていた。
このように、被告の原告に対する第二次配転は、原告が正確な情報、偏らない情報を伝え、弱者や少数者に関する情報も伝える必要性を主張して、正しい報道のあり方について日常的に意見を述べ、報道の自由、報道のあり方について被告の方針に批判的意見を述べてきたことを嫌悪し、原告に対し懲罰を加えようとの意図をその真の動機の一つとするものであり、憲法二一条、労働基準法三条などに違反するものである。
第三争点に対する判断
一 アナウンサーの定義及びアナウンサーとしての業務について
本件において、原告と被告との間には、アナウンサーの定義及びアナウンサーとしての業務の内容について争いがあるが、これらは、ひっきょう、アナウンサーの業務に従事することを内容とする労働契約について、その具体的内容をどのように把握すべきかという法律行為の解釈の問題であるので、まずこの点について判断する。
1 前記事実、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。
一般に、テレビやラジオの放送局においてアナウンサーは、一般の従業員と異なった募集枠で、音色・発声・発音・アクセント・話術などのアナウンス技術についての素質を審査するための特別な試験を受けて採用され、その後右アナウンス技術についての特殊な訓練を受けており、被告においても、昭和三六年ころにはアナウンサーを募集することを明記して社員の募集を行い、応募者に対して、原稿読みを内容とし、アナウンスの能力・資質を審査する第一次音声テスト、原稿読み及びフリートーキングを内容とし、どの分野が適しているかを審査する第二次音声テストを行い、これらの試験に合格した者を社員として採用し、アナウンス部に配属した後、二ないし三か月間のアナウンサー研修を行っているなど、アナウンス技術はアナウンサーに求められる素質の中核として位置づけられている。
しかし、情報化社会における電波メディアの技術革新のもと、テレビ・ラジオの生番組の増加、番組のワイド化に伴い、アナウンサーに求められる資質は、単に日本語を美しく正確に読み、話すというアナウンス技術のみならず、状況に応じて話題を展開する能力、話題に対応する広範囲な知識など幅広いものとなっている。
また、被告以外の放送局において、被告のアナウンス部のようにアナウンサーを集めて配置する部署がない放送局も存在するが、そこでもアナウンサーという職種や肩書は存在し、被告においても、平成二年五月一五日、アナウンサーの能力開発・資質向上を企図し、従来のアナウンス部を廃止して、アナウンサー各員を報道局報道部・ラジオ局制作部・テレビ制作局制作部・報道局スポーツ部の各現場に配転する機構改革を実施した後も、依然としてアナウンサーという職種は存在し続けている。
一方、報道記者など、アナウンサーとしての教育ないし研修を受けていない者もマイクの前でニュース原稿を読み、喋るなどのアナウンス業務を行っているが、一般にこれらの者をアナウンサーと呼ぶことはなく、このことは被告においても同様である。
2 以上の認定事実を総合すると、一般に、アナウンサーとは、音色・発声・発音・アクセント・話術などのアナウンス技術についての特別の教育・訓練を受けた者であって、労働契約上アナウンサーとしての業務、すなわちテレビやラジオの放送業務におけるアナウンス業務を中核としつつ、これと密接な関連を有する一定範囲の周辺業務に従事する者であると定義するのが相当である。
この点、被告は、第一次配転当時は、アナウンス部に配属された者がアナウンサーであると定義しているが、後に判示するとおり、被告においては、アナウンサーたる地位を離れる者がアナウンス部から他の部署に配転されるとの事実上の運用がなされていたにすぎず、アナウンス部からの配転によってアナウンサーたる地位が失われているわけではないから、右被告の主張を採用することはできない。
また、原告は、アナウンサーとは「アナウンサーとして発声や読みの訓練を受け、アナウンサーとしての自覚のもとに、マイクの前で話すことを仕事としている者」であると主張するが、アナウンサーか否かは労働契約上の法的地位であって、客観的に決定されるべきものであり、かつてアナウンサーとしての訓練を受けた者がたまたまアナウンス業務に従事した場合にも、主観的にアナウンサーであると自覚していさえすればアナウンサーたる地位を有するということはできないから、右原告の主張もまた採用することができない。
二 被告におけるアナウンサーの処遇等について
前記事実並びに証拠(<証拠・人証略>)を総合すると、次の各事実を認めることができる。
1 被告におけるアナウンサーの処遇
被告においては、平成二年五月一五日にアナウンス部を廃止するまでは、アナウンサーとして採用した者及び他の放送局から中途入社したアナウンサーなど、前記一において判示したアナウンサーとしての業務に従事させ、アナウンサーとして処遇する全ての者をアナウンス部に集中して配属し、月額八〇〇円のアナウンス手当を支給しており、アナウンス部を廃止した際は、当時アナウンス部員であった者をアナウンサーとして業務に従事させ、アナウンサーとして処遇し、アナウンス手当を支給した。
2 被告におけるアナウンサーに対する配転の実情
被告では、平成二年五月一五日のアナウンス部廃止以前においてアナウンス部に配属されていたアナウンサーであっても、結婚や出産を契機に退職する者のほかは、自らアナウンサーとしての業務に従事するための能力に限界を感じ、又は積極的に他の仕事を求めるために、配転に応じて他の部署に転出することは通常のことであって、定年までアナウンス部に残りアナウンサーとしての業務を続ける者は皆無であった。
また、アナウンス部にはある程度の定員枠があり、新たにアナウンサーを採用するためには、採用人数と同人数程度のアナウンス部員の他の部署への配転が必要であるとの暗黙の了解が存在し、アナウンサーも時間の経過とともに他の部署に配転されることが一般化していた。
3 被告におけるアナウンサーたる地位
被告は、平成二年五月一五日にアナウンス部を廃止する機構改革を行い、アナウンサーを直接現場に配置したが、それ以前はアナウンサーとしての業務に従事し、アナウンサーとしての待遇を受ける者は全てアナウンス部に配属され、アナウンス手当を支給される一方、被告においてアナウンサーとしての業務に従事することのなくなった者(アナウンサーとしての業務以外の業務に従事することとなった者)はアナウンサーとしての地位を失い、アナウンス部から他の部署に配転されるとの運用がなされ、このことはアナウンサーを含む従業員間で当然のことと認識されており、アナウンス部への配属とアナウンサーたる地位は事実上不可分のものと認識されていた。
また、アナウンサーが特殊なアナウンス技術を必要とする職務であることから、アナウンサーとしての業務以外の業務に従事し、アナウンサーとしての地位を失うこととなる配転については、本人の意向が十分に尊重され、同意がない場合には配転されないとの運用がなされていた。
三 第一次配転の経緯
1 原告のアナウンサーとしての能力に関する被告の評価
証拠(<証拠・人証略>)を総合すると、次の各事実を認めることができる。
昭和五九年当時、アナウンス部の臼井部長は、原告のアナウンサーとしての能力について次のとおり評価していた。
(1) 原告は、同人の持つ雰囲気が堅すぎるため、柔らかい雰囲気が要求されるテレビやコマーシャルの録音、録画に起用することができない。
(2) 原告はアドリブが苦手であり、この能力を要求される司会業務、中継業務、インタビュー業務等に従事させることができない。
(3) 早いアナウンスができず、トチリが多いため、アナウンスが規定の秒数に収まらなかったり、高音がかすれたりするため、取り直しのため多くの収録時間を必要とするなど、アナウンス業務そのものの能力が劣ってきている。
(4) 他のスタッフ(ディレクター・記者・カメラマン・同僚のアナウンサー等)との協調性にも問題がある。
(5) 確実性の高い仕事のできる人物であり、記録の整理・資料の選択などにはかなりの実力を発揮する。
2 第一次配転以前の配転についての意向打診
前記事実並びに証拠(<証拠・人証略>)を総合すると、次の各事実を認めることができる。
臼井部長は、昭和五九年五月一一日午後三時三〇分ころ、原告に対し、配転についての意向打診をし、その際原告に対し「アナウンサーを辞めてほしい。限界だと思う。あなたは才能のある人だから、別の面で働いたほうがいい。」などと告げ、配転に応じてアナウンス部から出るよう説得し、同年六月一五日の午前中も、原告に対し配転についての意向打診を行い、その際「配転問題といっても、アナウンス部から出ることなんだけどね。」、「管理職として、もう逃げられないところに来ているんだ。」などと告げて配転に応じるよう説得し、また、同年七月四日の午前中にも、原告に対し「アナウンス部を出なさい。」などと告げ、配転に応じてアナウンス部を出るよう説得を繰り返した。
原告は、右配転の意向打診に対して、重ねてこれには応じない旨の意向を示したことから、被告は同年の配転を断念した。
3 第一次配転の意向打診
前記事実並びに証拠(<証拠・人証略>)を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 臼井部長は、昭和六〇年二月一四日午後一時三〇分ころ、原告に対し「今回は、情報センターにどうかと人事のほうから言ってきている。向こうは喜んで迎えたいということだがどうですか。森部なら喋れるし、編成もできるからいいのじゃないかと思うと伝えてきた。」などと告げて、情報センターへの配転についての意向打診をしたが、原告は同月一八日、これに応じない旨の回答をした。
同月一九日、デスク業務を担当していたアナウンス部副部長松井伸一も原告に対し配転についての意向打診を行い、また、情報センターの小林部長も、原告に対し「受け入れ体制は整っている。ラジオの午後の時間帯を大改編して充実させる予定であり、そこではアナウンス業務も用意できる。」などと告げて配転に応じるよう説得した。
(二) 原告は、右のような説得を受けて迷った末、労働組合の役員に相談したところ「これからのアナウンサーというのは、アナウンス部だけに止まっているのではなく、いろいろな部署でやっていく時代なのではないか。」などと言われ、情報センターにおいてアナウンス業務ができる旨の説明も受けていたため、同部署への配転について同意する旨決意し、同月二五日、これを受け入れる旨臼井部長に伝えた。
(三) 原告は、第一次配転に応じる旨の意思を表明した後の同月二八日、アナウンス部におけるアナウンサー日誌において、次のように記載している。「夕方五時一五分のローカルフラッシュをアナウンサーとしての最後のニュースとして読みました。不思議に感傷的なものはこみ上げて来ず、これから又大変だという気持ちです。私としては今まで一つ一つの仕事を大事にしてきたつもりですし、二三年一〇ケ月のアナウンサー生活に悔いはありませんが、女子アナウンサーの補充もなく新人採用の言質をとらないまゝ職場を去ることが、心残りといえばいえます。どうぞ、新しい人を部員として迎え、育てて下さい。そして皆さんも勉強してください。ご厚情ご薄情色々有り難うございました。森部聰子」
また、被告は、同年二月まで原告に対して支給していた金八〇〇円のアナウンス手当を翌三月から支給していないが、このことについて、原告は被告に対し何ら異議を唱えていない。
4 第一次配転後、原告が従事した業務について
前記事実、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。
(一) 情報センターでの主たる業務情報センターは、被告報道局に送付される多数の官庁の刊行物、企業の広報誌などの印刷物を整理し、市町村の行事及び催事並びに企業の催し物等を記載した予定表を作成し、それをテレビ・ラジオの番組スタッフに配布する業務並びに朝日新聞社からファックスで送られてくるニュース原稿をリライト(書き直し)し、ニュースバリューに従って編成する業務を主たる業務としていた。
また、被告においては、昭和六〇年当時イベント情報を収集して放送する番組である「KBCトピックス」の放送を一日一〇本行っており、情報センターがその内容作成を担当していた。
その後の昭和六〇年から六一年にかけて、情報センターには、原告のほか、元アナウンス部のアナウンサーであった松田淳作、小城慶一、沢津橋忠、長井豊及び池田正雄が配属されたことから、これらの者でラジオニュースの編成及びアナウンス業務を担当することとなった。
(二) 情報センターにおける原告の業務
情報センターは、昭和六〇年三月まで、午後に三本の「KBCトピックス」の放送業務を担当し、アナウンス部のアナウンサーに依頼してこのアナウンス業務を行っていたが、同年四月から番組の編成が変わり、情報センターの担当する「KBCトピックス」は午後三時台の一本だけとなった。
原告は、右「KBCトピックス」のアナウンス業務に従事することを命じられ、昭和六三年四月ころまで右業務に従事した。
また、原告は、一時期、「朝日ローカルフラッシュ」という番組のアナウンス業務及び「エリア歳時記」という番組のアナウンス業務にも従事した。
(三) ラジオニュース班の担当業務及び原告の業務
被告の機構改革により、昭和六二年八月一日に情報センターが廃止され、そこに配属されていた従業員がそのまま報道部報道局に吸収されると、原告はラジオニュース班に所属した。
ラジオニュース班において原告が従事した業務は、情報センターにおいて従事していた業務と同様、情報の収集・配信と「KBCトピックス」のアナウンス業務、ラジオニュースの整理・編成及びそのアナウンス業務であった。
(四) インパックス編成の後のラジオニュース班の担当業務
被告は、平成二年四月、ラジオ番組の編成を生ワイド番組を中心とするインパックス編成としたが、この編成替えにより、ラジオニュース班におけるラジオニュースのアナウンス業務は廃止され、ラジオニュース班はラジオニュースの整理・編成業務のみを担当することになった。
四1 前記二、三において認定した各事実を総合すると、被告が昭和五九年夏期の人事異動の機会及び昭和六〇年二月一四日からの原告に対する情報センターへの配転についての意向打診及び説得に際し、原告に対し、それまでのアナウンサーとしての業務、すなわちアナウンス業務を中核としつつ、これと密接な関連を有する一定範囲の周辺業務に従事することを内容とする労働契約から情報センターにおけるニュース編成・情報整理・情報収集等の業務(一部アナウンス業務を含む。)に従事することを内容とする労働契約への契約内容の変更を申し入れたのに対し、原告は右職種変更を伴う第一次配転について同意し、これを前提として、被告において昭和六〇年三月一日に第一次配転を発令したものであり、原告はその時点でアナウンサーとしての業務に従事する地位を喪失したものと判断するのが相当である。
また、第一次配転後に原告が従事した情報センターの業務自体、アナウンス業務を中核とするものではなく、原告が情報センターに異動した後も継続してアナウンス業務に従事したのは、被告が原告の強い要望に副ってこれを認めていたからにすぎないというべきであるから、これをもって、原告がアナウンサーとしての業務、すなわちアナウンス業務を中核としつつ、これと密接に関連した周辺業務に従事していたということはできない。
2(一) この点、原告は、前記のとおり、アナウンサーとして発声や読みの訓練を受け、アナウンサーとしての自覚のもとに、マイクの前で話すことを仕事としている者をアナウンサーと捉え、また、右の意味でのアナウンサーが行うアナウンス業務がアナウンサーとしての業務であると捉えた上で、第一次配転に先立つ昭和六〇年二月一九日、被告が当時の情報センターの小林部長を介して、情報センターに異動した後もアナウンス業務に従事することを保証する旨約したため、これに応じて、同配転を承諾したものであり、原告は第一次配転後も右の意味でのアナウンサーとしての業務に従事する地位を有していた旨主張する。
右主張に照らせば、原告の本訴請求は、少なくともアナウンス業務を継続することを要求しうる労働契約上の地位にあることの確認を請求する趣旨を含むと解する余地があるところ、右のような保証の約束があったとすれば、右地位の確認請求が認められる余地もあるから、この点について判断する。
(二) 前記事実及び証拠(<人証略>)を総合すると、昭和六〇年二月当時の情報センターの小林部長は、原告がアナウンス業務に強いこだわりを見せていることを認識し、当時情報センターが担当していた午後のラジオ番組の中に、従来アナウンス部のアナウンサーに依頼したり、報道記者やデスクが行っていたアナウンス業務があり、原告を右アナウンス業務に従事させることが可能であったため、原告に対し、情報センターに異動した後であってもアナウンス業務を行うチャンスはいくらでもある旨告げて第一次配転を承諾するよう説得した事実を認めることができる。
しかし、右事実をもって、原告のアナウンス業務について否定的評価をしていた被告が、小林を介して原告に対し、報道(ママ)センターにおいて原告をアナウンス業務に継続して従事させ、将来にわたって右業務から外さないことを保証したものと解することは到底できず、そのほか右事実を認めるに足りる証拠はない。
五 以上の検討によれば、原告は第一次配転によって、既にアナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位を失っているものというべきである。
また、被告が原告に対し、アナウンス業務に継続して従事させ、右業務から外さない旨保証した事実も認めることができないから、原告が右業務に従事することを要求しうる労働契約上の地位を有するともいえない。
そして、仮に第二次配転が原告の主張するとおり無効であったとしても、そのことは第一次配転後の原告の右地位に影響を与えるものではないから、その余の事実について判断するまでもなく、原告の請求には理由がないというべきである。
(裁判長裁判官 石井宏治 裁判官 工藤正 裁判官川野雅樹は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石井宏治)